月
04
4月
2011
震災から1週間は福島原発のニュースに落ち着くことはなかった。しかしハイパーレスキュ隊の活動以降どうなろうともよいと覚悟ができた。それはもしハイパーレスキュ隊の活躍もむなしく最終的に原発事故が終息せずにこのまま放射能汚染の中で暮らしていかなければならない場合と、ハイパーレスキュ隊の活動を境に原発事故が見事収束して原発の不安から解消される場合の両極極端な未来を意識した。できるならば後者の未来であってほしいと願う。いづれにしてもあの時に決死の覚悟で頑張ってくれた日本人がいたことを誇りに思う。それだけで満足できたのだろう。
そのためかその後の原発事故の報道にはそれほど関心を示さなくなった。当初の放射線量を示す単位マイクロシーベルトで騒がれていたものが、1000倍のミリシーベルトに変わり、放射性ヨウ素が基準値の数倍から数万倍・数百万倍になり、海の放射線濃度が数十倍の値を示してもさほど驚かなくなってしまった。いつの間にか感覚がマヒしている。「すぐに人体に影響するものではない。」と政治家や官僚が報告する。それが日常的になり助長させている。いつの間にか危機感も薄れゆでガエルになっている。
知り合いの医療従事者は、毎日海外から日本の放射線濃度の分布をチェックしている。「東京だから安心だと思ったら大間違いだ。」と。