08

4月

2011

「ミツバチの羽音と地球の回転」

 人の暮らしとエネルギーを問うドキュメンタリー映画に涙した。

 原発建設を巡り住民が農業・漁業による今のくらしを守るため・生きるために反対行動を起こす。自然の恩恵を受けてこれまで生計を立ててきた人たちだ。原発建設によってその生活の基盤が失われる。自分たちは決してそれ以上の豊かさを求めるわけではない。先祖から引き継いだ今の暮らしを続けたい。そしてそれを次代に引き継ぎたい。極めて素朴で基本的な願いである。

 

 生活が便利に豊かになることを望まないわけではないだろう。しかしその気持ちがどこかにだれかにしわ寄せを生んでしまう。その一つが原発の建設であろう。電力会社も増え続ける電力需要を賄うために出された国のエネルギー政策を受けてのことだ。電力会社は反対住民に原発による安定した未来を説く。しかし反対住民にとって現在とその延長線にある未来を犠牲にするはできない。建設地の埋め立てによってすでに環境は変わりはじめている。希少な生態系が失われかけている。原発が稼働すればさらに深刻となり、冷却のために放出される大量の温水が海水温を上昇させる。そうなればこれまでの漁業はできない。水温が1度上がっても生態系は大きく変わる。補償金では解決できない問題が残る。

 

 これまでに建設された日本の原発においても同様の出来事はあったと思う。原発建設によって環境の変化のみならず、これまでのコミュニティが賛成派と反対派に分かれ、一切の交流を失う。そんな出来事をこれまで知らなかった。

 原発が建設される場所は過疎地で第一次産業に従事する人たちが暮らす。反対もむなしく建設されて生活の基盤を失う。代々住み続いた土地を離れる人もいるだろう。少数かもしれない。しかし、そのような人たちの犠牲の上に私たちの暮らしが成り立っている。少数の犠牲によって多数の幸せが得られている。それでいいのだろうか。今回の原発事故はもはや一部の犠牲では済まされない多きな犠牲を生んでしまった。今、私たちの暮らしがエネルギーを得るために極めて高いリスクを払っていることを知った。将来をみつめ考え直す時であろう。

 

 映画は同時にスウェーデンの自然エネルギーへの取組みを報じている。自然エネルギーがすべていいことの様に映されているが真実だろうか。疑問である。スウェーデンが1980年に原発をやめると宣言したがそれは実現できたのか。自然エネルギーのみで自国の電力需要を賄えているのか。その事実は伝えていない。

 

 映画は終わりにあの島の住民達がこれまでの電力に頼る生活から脱却して、自分が使うエネルギーは自分のところで賄う生活に取り組もうとしていることを伝えている。

 もし「自分の分は自分で作れ」と言われたら、都会で過ごす私たちは孤立してしまう。食料もエネルギーも自給自足できていないのだから。

 

間取りっち
建築コンシェルジュ

一級建築士事務所

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